YOUは何しに優人会へ?~前編~
優人会病院では、EPAでインドネシア人の看護師の受け入れをいています。
EPAで受け入れるインドネシア人の看護師は、日本で働くことを前提に
- 半年間の日本語研修を受ける
- 医療・介護現場で働き始める
- 3年ないし4年の滞在期間中に、看護師・介護福祉士の国家資格を取得する
という条件の元、インドネシアから日本に来ています🗾
優人会病院では現在、5名の看護師・看護学生が仲間として働いています。
看護師のイカデさんはEPA受け入れ1期生として来日し、
日本での看護師試験にも見事合格して
今年で優人会病院 勤続10年を迎えました👏
そんなイカデさんに
私、広報担当Sがインタビューしてみました👧🎤
ーイカデさん、この度は勤続10年おめでとうございます!
ありがとうございます。
ーまずは、インドネシアにいた時のお話を聞かせてください。
インドネシアのバリ島出身です。優人会病院にいる他のEPAの人でジャワ島出身の人もいます。同じインドネシアという国でも、生まれたときは「バリ語」と「ジャワ語」で話しします。
ーバリ語とジャワ語は全然違うんですか?日本語と英語ぐらい?
バリ語とジャワ語は全然違います。僕はジャワ語は全く分からないです。小学校に入ると、「インドネシア語」を勉強してインドネシア全体の共通言語として学びます。
ーすごい!じゃあインドネシアの人たちはバイリンガルなんですね!
そうですね(笑)
ーイカデさんは何人家族ですか?
お兄さんと2人兄弟で4人家族です。実家は農家でお米などを育てています。今も元気にやっていますよ。
ー農家!では育てた作物を日本に送られてくるんですか?
いえ、お米は日本の方がおいしいです(笑)
ー(笑)!お兄さんは今、何をされているんですか?
バリ島で公務員をしています。大学院を出ていて、すごく頭がいいです。
ーなぜ、イカデさんは医療の道に?
もともと、医者になりたかったんです。・・・が、中々難しくて。お父さんが医者になりたかったのが影響しています。兄は頭がいいんですが医療に興味なくて。僕は医療に興味があったけど、兄ほど頭が良くなかったので、同じ医療の道としてインドネシアの看護学校に3年通いました。
ー3年というのは日本といっしょなんですね!卒業後はどんなところで働いていたんですか?
22歳で卒業して、24時間体制のクリニックで働いていました。日本の救急外来みたいなところです。インターナショナルSOSという、日本にもある大きなクリニックです。
特に、バリ島ではサーフィンでのケガが多く、よく急患が運ばれてきました。そこでは2年働いていました。
ーそんな中、なぜ日本に来ようと思ったのですか?
もともと、「バリを出て、海外で働きたい!」という思いがあったんです。人生で1度挑戦してみたいという気持ちがずっとありました。
オーストラリアやアメリカ・カナダなど、外国人看護師の受け入れはあったんですが、旅費が自己負担で非常に高くて。日本だけ、自己負担なく行けることが出来ると知ったので日本にしました。中にはオーストラリアに行った看護師友達もいますよ。
ー日本人が海外の看護師になる!というのはあまり聞かないですが、インドネシアでは海外へ働きに行く看護師は多いですか?
日本よりは多いと思います。やはり収入は全然違うからですかね。3~4倍ぐらい?かなり違います。
ーそんなに違うんですね!EPAの試験は難しかったですか?
今は知らないですけど、僕が入る時はそんなに難しくなかったです。日本語なども6カ月の研修の間に学びましたし。
ーいざ、日本に行く!と決まった時、ご家族に止められたりしましたか?
全然です(笑)いってらっしゃい!という感じでした。元々、高校から一人暮らしをしていたので。学校がとても遠かったんです。なので、独り立ちするのが早かったです。
ー家族に見送られながら日本に来たわけですね^^
話が盛り上がってきましたが、気になる日本でのお話は後編にて・・・
つづく
(10年表彰された時のイカデさん)